実行委員長よりご挨拶

第5回Japan Endovascular Symposium(JES2010)開催にあたって

この度は、第5回JESにご参加いただきありがとうございます。毎年500名以上の方にご参加いただいておりますが、我々がどんなに頑張っても、参加してくださる皆さまがいなければこうしたシンポジウムを開催する意義が無い事はもとより、会自体が成り立ちません。ご参加していただいた皆様に心から感謝します。

JES2010は第5回の記念大会であります。私は2006年7月に12年間滞在した米国から帰国し慈恵医大血管外科分野担当教授の職に就き、直後に当時199名(現在235名)の外科医を統括する外科学講座統括責任者を拝命しました。第1回JESは帰国後2カ月足らずでの慌ただしい開催となりました。当時は慈恵医大本院には私を含め血管外科医は3名(現在レジデント含め21名)しかおらず、月々の診療報酬額は32ある診療科中最下位(現在第1位)で年間の大動脈瘤手術件数は5-6件(現在約400件)でした。そんな弱小診療科で、また帰国したばかりでJESを開催するのは無理であるとの意見が内外から寄せられました。それでも私は帰国した2006年夏の開催にこだわりました。

米国で活動している時は、米国Albert Einstein医科大学の血管外科Frank Veith教授(私の前任者)と共に参加者1500名を誇る米国最大の血管外科シンポジウムであるVEITH Symposiumを毎年秋にManhattanで開催しておりました。私は1998年に座学だけだったVEITH Symposiumに多数の反対を押し切ってライブサージェリーを導入しました。反対の理由は手術にリスクが伴う事や衛星回線を用いる事によるコストの問題が挙げられました。当時は米国でもFDAの承認を受けたステントグラフトはありませんでしたので自作のステントグラフトを用いてのライブ手術を供覧していました。天皇陛下もご宿泊になられたNY1の格式を誇るWaldorf-Astoria Hotelのball roomに全くそぐわない軽妙なトーク、毒の聞いたギャグとセクハラギリギリのジョークが大いに受け、NYの秋の風物詩になりました。無論ライブ後には多くの賛美とともにセクハラ発言に対する謝罪要求もしばしば受けました。また、2000年のVEITH Symposiumでは米国で初となるprotection deviceを用いた頸動脈ステント術を披露しました。メスで患者の治療をする事を生業としてきた当時の米国の大物血管外科医達からは頸動脈ステント術は言うに及ばず、ステントグラフト術やPADに対するインターベンションも受け入れられておりませんでした。そんな世論の中、数々のエンドバスキュラーライブサージェリーを供覧しましたが、まさに “Seeing is believing” と言う通りで、論文や編集されたビデオテープから見聞きしたEndovascular Surgeryとライブサージェリーで生の映像を見るのとでは説得力や頑固な外科医たちの固定観念を変えるという点において圧倒的な違いがありました。今や、米国の血管外科医はステントグラフト術や頸動脈ステント術を日常診療の一部として施行しておりますが、これは毎年VEITH Symposiumで多くの外科医を前に数々のライブサージェリーを供覧出来た事と全く無縁でなかったと自負しています。

色々なメディアで伝えられておりますのでご存知の方は少なくないと思いますが、米国の外科教授のポストを捨て、母校慈恵医大に戻るという事は米国での年収約1億円が約1/10になるという事を意味していました。慈恵医大当局は給与の交渉には応じられないが、設備投資などでは私の要望を聞き入れてくれるとの事でした。その中で私が描いたwish listには手術室に最低2台の固定式FPD透視装置を導入する事、手術室に血管外科専属Nsチームを組織する事、血管外科医を必要な数だけ雇用できる事、米国Albert Einstein医科大学の外科教授を兼任できる事、教授職に伴う様々な学内委員会の委員に極力指名されない配慮等に加えて、血管外科手術室とJESの会場である大学1号館3、5、6階講堂を光ファイバーで繋ぎ高画質のライブサージェリーが出来るようにする事などを列挙しました。手術室からの映像を光ファイバーで会場に送信する工事には数千万円を要しましたが帰国直前に完成しました。

次の問題はライブサージェリーをいつ開催するかという事でした。帰国当時は日本の学会、病院事情に全く明るくありませんでしたので、メーカーを含めた学内外の知人から意見を伺いました。驚いたことに、日本では小さな研究会を含めますと1年を通じてほぼ毎週のように日本のどこかで心臓・血管系の学会・研究会が開催されており、既存の会とバッティングしない時期は夏休み期間中か年末年始しか残っていませんでした。後者は現実的でなかったので8月の最終週に決めました。帰国したのが2006年7月でしたから、選択肢は1年の準備期間を経て翌2007年夏に開催するか、帰国直後の2006年夏に強引に開催するかでした。私は “Now or Never” の精神で2006年に開催することにこだわりました。2006年春頃から慈恵の教授就任が確実となっていましたので、本格帰国の7月に先立つ4月から6月の間は月に2回、1回2日程度NYから慈恵に戻って戸谷医師や黒澤医師と共に細々と血管外科教授外来をスタートしました。初回の外来には3名の患者しか来なかった事は今でも鮮明に憶えています(現在では深夜を越えしばしば翌朝まで)。2006年4月の外来診療開始からJES直前までは手術症例はほぼ全てJES用に温存していました(現在は7月に外来受診した患者だけで十分)。こんな急ごしらえの第1回JESでしたが、参加者は約350名に達し、ライブサージェリーもカテーテル手術に明るくない戸谷、黒澤、立原医師と数名の研修医らと苦戦しながら2日間で16例の症例をこなしました。今振り返っても驚く事に、多くの症例が本邦初公開の手技やデバイスを用いておりましたが、それらには当時未承認だった胸部大動脈瘤用TAGやAAA用Excluder、現在も未承認のカバードステントやtapered Acculink/Accunet filterによる頸動脈ステント術、AtherectomyによるSFAインターベンション等が含まれておりましたが、最も印象的だったのが本邦初となったExcluder症例をおそらく本邦初の経皮的EVARを35分で終えた事でした。この症例は今でも日本最短手術ではないでしょうか?

第1回JESの翌年に初めて企業製AAAステントグラフトが保険収載されましたが現在では3種類の腹部大動脈瘤、2種類の胸部大動脈瘤用ステントグラフトと共に2種類の頸動脈用protection filterとStent、2種類Renal stentなどが薬事承認を受け、広く日常診療に使用されております。2005年には全国で治療されていた腹部大動脈瘤約9,000件の内ステントグラフト症例は10件前後しかありませんでした が、2006年には66件(うち慈恵医大で68%にあたる45件)、そして2009年には約4,400件と(AAA14,000 件の33%)急速に浸透しました。また病院・診療科ランキングなどの本でも血管外科が独立した診療科として扱われるようになりました。JESや様々なメディアを通じての活動が、血管外科という診療科の認知度アップ、さらに日本の血管外科医療をより良い方向へ導くのに微力でも貢献できたとしたら望外の喜びです。

さて、今年は第5回の記念大会ですのでそれを祝う企画をいくつかたてました。昨年医学書院から出版した胸部大動脈瘤ステントグラフトの教科書に続いて第5回JESを記念して慈恵医大血管外科チームの総力を挙げて「腹部大動脈瘤大ステントグラフトグラフトの実際」(医学書院)を執筆しました。なお本書は医学書としては日本で初めて動画(QRコード)を導入しました。第5回JESがこの教科書の初披露目 となります。より多くの方に我々のEVARに際してのスタンス、知識、技術、裏技、リカバリーショット等を記した本書を買っていただき明日からの診療に役立てていただければ幸いです。また、第1回JESの時からノベルティー担当のJES事務局長神谷美和さんと血管外科のスタッフの太田裕貴医師がJESボールペンをさらに進化させました。今年は従来の“大木隆生似顔絵ペン”を“大木隆生人形付きペン”にしてしまいました。私の名誉のために申し上げますが、これは彼女・彼らが勝手にデザインし、勝手に発注した物である事を是非お知りおきください。この“大木隆生人形付きペン”の試作品を見たときに思った事は、いったいいくつの大木隆生人形が“わら人形”的に使われるのかという心配でした。皆さま、どうか優しく扱ってください。今年は学会バッグも初めて作成しました。私は無数の学会でもらう学会バッグはもらった瞬間に 例外なく捨てていましたので、その存在意義が理解できず、従ってJESでも作成した事がありませんでした。今年は第5回記念大会ですので学会バッグを作成することにしましたが、コンセプトは「すぐに捨てられないバッグ」でした。色々なサンプルを取り寄せ、思いを巡らせました。「捨てられないバッグ=高価なバッグ」という発想を転換し、絶滅した大きな恐竜ではなく、小さく目立たない、だけど生き延びたゴキブリ作戦を選択しました。すなわち邪魔にならない、それでいてあって良かったと思っていただけるコンパクトなエコバッグです。どうぞ捨てずに使ってやってください。さらに、ライブサージェリー中の議論をより活発にするために、ベストコメント賞、ベスト座長賞、KYコメント賞、どんびきコメント賞を設け各々の日の最後に厳正審査の結果選ばれた受賞者に表彰式を行います。なお今年のJESでは、NHK(「プロフェッショナル仕 事の流儀 Part2」)、日本テレビ(「神の手を持つ名医たち」)、テレビ東京(「世界を変える100人の日本人」)の3社がそれぞれドキュメンタリーを制作するためにカメラクルーをJES会場内に派遣しておりますので、KYコメント賞やどんびきコメント賞を受賞した際にはそれが全国ネットで放映されるということを 覚悟・承知の上でご発言ください。

また、Endovascular Therapyが急速に普及していく中で「単に頸動脈ステントを挿入しただけ」では目の肥えた皆さんに満足いただけないという環境変化に合わせて「さらに先を行くJES」をスローガンとし症例を選択しました。JES2010では例年同様いくつもの本邦初公開の手術、デバイスをラインアップし ました。弓部にフィットするしなやか構造でかつRadial forceを強化した胸部大動脈瘤用Conformable TAG、正確な留置、強固な固定が売りの胸部大動脈瘤用TX2、弓部でもすいすい正確DeploymentのTALENT Xcelerant、世界最小16Frの腹部大動脈瘤用Zenith LP、長いSFA病変に効果的なヘパリン付き25cmmのViabahn covered stentによる血管内F-Pバイパス術、テルモの世界初の国際共 同治験(MISAGO SFA stent)、世界最小3cm以下の傷で行う慈恵式頸動脈内膜剥離術(CEA)、選択的コイル塞栓術を容易にする“ヨット流コイル塞栓術”などいくつもの本邦初症例をラインアップしました。JESは今後も「血管内治療の未来を知るクリスタルボール」であり続ける為の努力を継続します。また、JESは、頸動脈内膜剥離術から下肢デプリードマン、CAS、TEVAR、EVAR、BTK-PTAと“つまみ食い”ではなく本当の意味で“head to toe”のインターベンションをライブで供覧する日本で唯一のシンポジウムです。

JESでは毎年参加者の皆さんを対象にアンケート調査をしておりますが、多くの方から例年通りの月・火曜日開催より木・金曜日開催の方が好都合であるとの意見が寄せられましたので、そのご要望にお応えして今年も木・金曜日開催としました。また、「講演の数が多すぎる」「ライブ症例をもっと増やしてほしい」との意見も多数寄せられましたのでライブ症例を23例に増やし、講演数を減らしました。今年も「胸部・心 臓血管外科ライブ手術ガイドライン」を遵守しながら、本会を運営します。その一環として、症例検討タイムを設け、また昨年の症例の経過報告集も作成しましたので是非ご一読頂ければ幸いです。

愚者は経験に学び賢者は歴史に学びます。新しい分野である血管インターベンションの領域では未完成の医療器具や手技がまだたくさんあります。我々の成功や失敗からより多くのものを学んでいただき、明日からの治療に役立てていただければ幸いです。今年も、一人でも多くの方に日本の夏の風物詩になりつつあるJESに「来て良かった、勉強になった」と言ってもらえることを、慈恵医大血管外科スタッフ一同、JES事務局長神谷美和、運営(株)N.Practice藤井律子は願っております。

大木隆生 第5回 Japan Endovascular Symposium
実行委員長 大 木 隆 生